久しぶりに駄文を書きたくなった。

しかし何を書いたらすっきりするものなのかわからないので特に書くこともない。

 

いろいろ思っているはことは思考の中で消えては消滅していくので実際にこうしてPCの前に向き合うとなかなか文章が出てこない。

 

仕事のこと、プログラミングのこと、家族のこと、いろいろ思うことはあるのにそれを言葉にするのは難しい。

言葉にした途端にその頭のなかにあった素晴らしいアイデアが実は全然たいしたこのないただの思いあがりにすぎないのに気づくのが怖いのかもしれない。

 

いつかのユーザーストーリー

こんな話をテレビで観た。
とある芸能人がとある老人と話していた。そこで意気投合したのか連絡先を交換することになった。まだ携帯電話が普及する前の出来事だ。
芸能人は老人に連絡先を聞いた。それに老人はこう答えた。
「家に電話して聞いてくる」


なんでやねん、という話であるが、これはなかなか興味深いはなしである。
老人は番号を数字ではなく象形文字のように形として記憶していたのである。

デジタルとアナログを使い分けるというのはこのことではないか。
他人の仕草から得られる新たな気付きを無視していてはならないという良い教訓的な話だと思ったのである。

ブラックスワン

ブラックスワンを観てた。ナタリーポートマンの演技すごい良かったし、最後まで飽きさせずにクライマックスにあわせて盛り上がりを最高潮に持っていく脚本と演出も素晴らしかった。
所々で痛々しい場面があるので気楽に観れる映画ではないけど

ノルウェイの森

ちょっと前に村上春樹原作のノルウェイの森映画版をTSUTAYAでレンタルして観た。
感想としては、うーん、という感じ。
まず、直子の配役が菊池凛子なのに微妙な感じがした。演技は良かったけど、おれがイメージする直子はガッキーみたいなルックスだったのでがっかり感というか、外国人監督のイメージではこうなるんかなーというあきらめ。
そして、緑の水原希子。ルックスに不満はないのだが、あの演技はいただけない。
おれが考えるノルウェイの森というのは感性豊かで傷付きやすい若者たちが社会の荒波に呑まれながら自分たちは特別という選民意識を抱いて生きていく物語であって、それを唯一ぶち壊すのが緑というキャラクターの存在なのである。
それをあんな演技をされたら他の登場人物と変化がなくてキャラが埋没してしまっている。
まあこれは演技の問題というか演出の問題なのかもしれない。

あと、突撃隊の存在が軽く流されてしまったのはいただけない。原作ファンの人たちは素直に受け入れているのだろうか。

原作では、緑の父親にきゅうりを食べさせるシーンがとても印象に残る描写をしてた。あのやりとりで、主人公のワタナベくんの人となりを読者は理解できる重要な場面だ。
それも映画ではバッサリなくなって親父はダイジェスト的に扱われている。
んー。

とまあ村上春樹ファンの自分としてはいろいろ気になるところはあるけど、よいところもある。

まず、ファッションがその当時のオシャレな雰囲気が出てるのと、永沢さんとハツミさんの配役、演技が素晴らしいところ。

そんな感想を持ちました。

なにか文章を書いていないといざというときに役に立つ文章を書けないのでなんでも良いからとりあえず適当に書いてみるべきかもと思って書くことにしてみるが続くはわからない。

github pagesでブログを書くのは悪いことではないけどWebから編集できないので、そういう意味でははてなとかWeb日記の方が便利。なんでもかんでもコマンドを叩いてやるのは面倒だよねー。ゴニョゴニョ